メンバープロフィール


 熊倉 浩靖(群馬県立女子大教授・NPOぐんま理事)

 熊倉浩靖(くまくら ひろやす)と申します。世界遺産への登録を考えてはいませんが、完全な形で現存する我が国最古の石碑で、日本語が日本語として書き始められた第一級の史料である山ノ上碑(六八一年)の麓、歩いて二十分程の、山名古墳群の真っ只中に住んでいます。山名は法隆寺の食封でしたから、広義には世界遺産法隆寺に連なっています。山ノ上碑と共に上野三碑と称される多胡碑(七一一年)、金井沢碑(七二六年)にも車なら十分とかかりません。三碑は特別史跡で、国宝のない群馬にあっては至宝中の至宝です。

そう自己紹介するように、専門と言える分野は古代史です。元々京大には理学部で入学したのですが学生運動に飛び込み、しかも挫折しました。その間、上田正昭先生にわが子のように公私共々ご指導を賜り、何とか普通の世界に戻れると共に、東国を中心とした古代史の研究に取り組みました。

そのご縁で、上田先生が会長をされているアジア史学会の事務局次長を仰せつかり、世界遺産関係では暫定リスト搭載の百舌鳥・古市古墳群と宗像・沖ノ島と関連遺産群の登録運動に関わらせていただいています。

 現職は群馬県立女子大学群馬学センター副センター長・教授ですが、大学に職を得る前から多くのNPO活動・市民活動に関わり、我が国近代建築の父とも言えるアントニン・レーモンドの作である群馬音楽センターや群馬交響楽団の生みの親でありレーモンドの友人でもあった井上房一郎旧邸の保存・活用の活動も重ねて来ました。

高崎という都市は、井上房一郎とその父・井上保三郎が指導力を発揮したこともあり、市民がその財源も含めて力を集めて文化・芸術活動を進める土地柄にあります。街並みや趣は残念ながら大したことはありませんが、精神では京都町衆の心意気に通じる精神性を持っています。戦後焼け跡の中から交響楽団を作り上げ、そのためのホールを市民拠金で作ってしまった都市です。その精神を引き継ごうと、公売にかけられた井上邸を市民の拠金で落札し、市に譲って真の公共財産としてきました。

私はまた全国八〇ほどの市区町村の行政評価に関わっています。古代史と行政評価とまちづくりと言うと、虻蜂取らずになりかねませんが、世界遺産にまでなってきた各地域の資産は、その時々に様々な思いや試みが加わってきたのだと思います。それで、私のような「虻蜂取らず」を仲間に入れていただいたのだと思います。感謝しています。

 http://www.npogunma.or.jp/